2010/08/07

水族館シンポジウムの感想+α

第17回の放送で、梅小路公園の未来を考える会さん主催のシンポジウムに参加して
特に心に残ったことを少しだけお話しました。とても濃い内容でしたので、
短い時間の中で伝えきれなかったお話がまだまだありました。もう少しだけ。
第17回のラジオの放送はこちらから

考える会の主催者のお一人、法然院の梶田さんが合間にされた短いお話。
『法然院(森のセンター)では、毎年ムササビの観察会をしていますが、
毎回ムササビが観られるというわけではないのです。
観られないこともある。それが自然というものなのです』

子どもたちに(大人にも、ですが)動物園や水族館に行けばいつでも観られる、
でもそれが当たり前だと思ってほしくないな、ということです。
動物だっていきものです。こちらが観たい!と思ってもその通りにしてくれるとは
限りません。でもショーのように「行けば観られる」という考え方だと
本当の自然がわかったとは言えないのではないでしょうか。

また、それにつながるのですが、中村桂子さん(JT生命誌研究館館長)のお話で、
 『(いのちの輝きとは・・・という話からの流れで)いのちっていうと、
輝きや美しさという部分だけではないんですね。そもそも、生きるということは、
めんどうなことを受け入れることで、でも今の時代、苦労せずともなんでも
ボタン一つで出来てしまうことが多いですね・・・』

テレビのリモコンにしろ、全自動洗濯機にしろ、ボタンを押せば
すぐさまやりたいことができてしまう、便利な世の中になりました。
そういった便利な機能を使うことで、その分、他のことに時間を回せるといえば
良いことにも感じられますが、それは「手抜き」をしているとも言えるのです。
何の努力をせずとも豊かさ・楽しみを得られる。そんなことが当たり前の世の中に
なっているのではないでしょうか。もちろんそれを全否定するわけではありませんが。
そういった社会のなかで、水族館や動物園が求められているような気もします。
めんどうなことも多いですが、そこで思考停止に陥らずに、
みんなでいい方法を考えていきましょう。と水族館の話につながりました。

また、中村さんは動物園や水族館で非日常的な動物に触れる前に、
自分の身近にいるいきもの、昆虫や植物などをじっくり観察することも
大事だとおっしゃっていました。
そういった身近のなんてことないものを大切に見守ることのほうが
「いのちの大切さ」を実感できるような気もしますね。

ゴリラの研究者である山極寿一さんは、動物園についてのお話も。
動物園はできてからしばらく動物の収容施設でした。
動物にとって居心地のよい場所を作ろうとしたのは100年以上経ってから。
ゴリラも飼育しはじめてから子どもを産める環境になるのに100年かかりました。

水族館は動物を訓練させてショーとして魅せる、まだその域から出ていません。

環境や生物多様性などに配慮を見せる京都という都市に新たに水族館をつくるなら、
ものすごい覚悟の上でやらなければならないでしょう。
また、ショーというものは、見る側に誤解を与えやすいものです。
テレビなどで放送される動物を擬人化したようなものでも、
誤った情報を流していることがあります。

‥‥‥‥‥‥
梶田さんのムササビの話で思い出しました。以前カナダのイエローナイフという町へ
オーロラを観に行くツアーに参加しました。イエローナイフはオーロラが見える町として
世界的に有名なところです。

オーロラを観るツアーですから、いちばんの目的は「オーロラ」です。
でも、オーロラは自然現象です。太陽から飛んでくる粒子が、地球の周りを囲む大気圏で
酸素などとぶつかり、いろいろな色で発光します。当然のことながら、条件が揃わないと
観られないこともあります。

お金を払っていくからにはなんとしても観たいと思うものですが、ツアー3日間の設定で
観られずに帰らなければならないこともあるそうです。もちろんツアーの概要にも
免責として「観られないこともある」と書いてあります。

私の行ったときは運よく観られましたが、観られなかったらなんだか納得いきませんよね。
でも、それが自然なのです。思うようにはならないから、自然なのですね。
そう思うと、人間も自然の一部。人を思うように動かしたいと思ってもそうはいかない、
それも納得できる気が。

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