今月のゲストは、樋口・林が通う書道教室の先生でもあり、
日展などで書道家としても活躍されている中岡志織さんでした。
中岡志織さんゲストの放送はこちらからお聴きいただけます。
林は、樋口さんに教室に誘ってもらい、通いはじめてはや1年半。
興味本位ではじめたものの、見よう見まねで書いているようなところがあり、
まだ自分の書きたい文字が書けているとは言えません。。
でも、書道をしているときの、あの空っぽになれるひとときがたまりません。
ひたすら半紙に向き合って、墨を流し込んでいく、静かな時間。
緊張感もありながら、なぜか心がおだやかになるのです。
“書道はいろいろな面から魅力を感じられる芸術”
書道の良さは、かたちの美しさだけでなく、味わい深さだったり、
上手でなくても人の心を打つものだったり、様々。
書道の指導にあたっては、「その人の良いところを引き出す」ことに
気を配っておられるとのこと。1回2時間のおけいこの中で、必ず一度は
褒めてくださるのはそういうことなのかな、とちょっとわかったつもりに
なりました(笑)。もちろん、直したほうがいいところはきっちり言って
くださいますし、自分の良いところ、癖などを的確に伝えてもらえるので
すんなりと理解することができます(理解できるのと書けるのはまた別の
話なんですけれども)。
“はじめてみるまで、書道は近寄りがたい存在だった”
今回は、先生の書道に対する思いや、書道をはじめられたきっかけについても
お聞きしました。お子さんを出産されてから筆を持ったというお話。
子育てに追われる日々の中で、気持ちをニュートラルに持っていける
書道の存在はとてもありがたかったそうです。
そして、書道というと“道”とつくだけあって難しく捉えられがちで、
先生自身もはじめるまでは、命がけでやらなければいけないものと考えて
おられたそう。でもけしてそんなことはなく、どんな人がやっても
“その人なり”のよいひとときをもたらしてくれるものであると、
自分がその世界に触れてはじめて気づかれたとのことでした。
書道や、書家である先生をとても身近に感じることができた今回の収録でした。
来月も引き続き、ゲストに中岡志織さんをお迎えしてお話を伺います。
林
中岡志織さんゲストの放送はこちらからお聴きいただけます。
2012/05/11
2011/12/05
観る、感じる、考える。
今月は映像アーティストの向井智香さんにお越しいただきました。
映像アーティストといっても、映画とかアニメーションの作家さんではありません。
川の上でも町家でも、はたまた鏡の中でもどこにでも映してしまい、大きさもバラバラ、
音も様々、抽象的だけれども、飽きの来ない(表現が雑…)アートです。
YouTubeに智香さんの映像作品がアップされていますので、是非、ご覧ください。
なんていうか、「新しい」感じです。
これまでは主に大阪で活動されていたのですが、京都でのお仕事が増え、
そして住まいを京都に、そしてまた京都での依頼が増え…とのこと。
というわけで京都と相性がいいという現代アーティスト、智香さんに面白いお話を聞くべく
今月お越しいただきました。
智香さんの京都のテーマの入り口は、「外から見た京都」。例えば十字路が不思議とのこと。
その感覚、正直私には全く分かりません。むしろ曲がっている道が不思議なもので。
でも駒子さんも「智香さん派」らしく、ほーーっという感じです。
智香さんの十字路の作品。
そして次の作品は、
京都のうちわといえば…!の透かしうちわの阿以波さんとのお仕事だそうです。
ちなみに智香さんは今回、阿以波さんの工房に行くようになって「伝統って古いものばかり
と思っていたら、色々と変わっていくって知ってびっくりした」とのこと。
そうですとも!伝統は革新の繰り返しなんです。
昔からのものと変わり行く社会の新しいところとがくっついて、長いこと続くんです!
でないと、遺産になってしまいますから。私にとったらそれは当たり前なんですけど、
まだまだこの認識が低いとのこと、私も勉強いたしました。是非是非智香さんには、
「京都は伝統と革新の町」ということを発信していってほしいです。
さて個人的に嬉しかったのは、智香さんの現代アート感と、
私の伝統のお能感(世阿弥など)が全く同じだったということです!!
ドキドキしてしまって、1人で盛り上がってしまいました^_^;
急にトーンUPなので、ぜひラジオでお聞きください。
あとで智香さんに「マヤちゃん、急に興奮するんだから~」って言われちゃいました。
すみません、世紀の大発見をしたと思っているので、お許しください。
というわけで、京都のアーティスト向井智香さんの作品発表、
これからも番組で追って行きたいと思います。
樋口
-----
先日、ふらっと立ち寄った京都芸術センターで「パラレルワールド」という展覧会を観ました。
パンフレットの説明も読まずに飛び込んだ部屋という空間で、
まさにパラレルな、日常では体験できないような、だけど見方を変えた日常のような、
不思議な世界を体験することができました。
そして今回、向井さんの作品を観て、現実の一部を"そうあるべき"という既成概念から
少し離れてみているような、奇妙な感覚になりました。
知っていたはずのものが違って見える、とでもいいましょうか。
いくつになっても世界が新鮮に感じられる。こういう感覚、大好きです。
誰にでも受け入れられる作品でないかもしれません。
私の母親の世代などは、頭に?がいっぱい浮かんでしまうでしょう。
そして芸術性の高い作品は、よく、感覚(センス)のみで作られたものと思われがちですが、
向井さん曰く、「ものすごく考える」のだそうです。
感覚でつくるのではなく、こうしたらこう見える、ということを研究するように
徹底的に考えてからつくる、とおっしゃっていたのがとても印象に残りました。
いつか実際に目の前で観てみたいと思いました。
林
映像アーティストといっても、映画とかアニメーションの作家さんではありません。
川の上でも町家でも、はたまた鏡の中でもどこにでも映してしまい、大きさもバラバラ、
音も様々、抽象的だけれども、飽きの来ない(表現が雑…)アートです。
YouTubeに智香さんの映像作品がアップされていますので、是非、ご覧ください。
なんていうか、「新しい」感じです。
これまでは主に大阪で活動されていたのですが、京都でのお仕事が増え、
そして住まいを京都に、そしてまた京都での依頼が増え…とのこと。
というわけで京都と相性がいいという現代アーティスト、智香さんに面白いお話を聞くべく
今月お越しいただきました。
智香さんの京都のテーマの入り口は、「外から見た京都」。例えば十字路が不思議とのこと。
その感覚、正直私には全く分かりません。むしろ曲がっている道が不思議なもので。
でも駒子さんも「智香さん派」らしく、ほーーっという感じです。
智香さんの十字路の作品。
そして次の作品は、
京都のうちわといえば…!の透かしうちわの阿以波さんとのお仕事だそうです。
ちなみに智香さんは今回、阿以波さんの工房に行くようになって「伝統って古いものばかり
と思っていたら、色々と変わっていくって知ってびっくりした」とのこと。
そうですとも!伝統は革新の繰り返しなんです。
昔からのものと変わり行く社会の新しいところとがくっついて、長いこと続くんです!
でないと、遺産になってしまいますから。私にとったらそれは当たり前なんですけど、
まだまだこの認識が低いとのこと、私も勉強いたしました。是非是非智香さんには、
「京都は伝統と革新の町」ということを発信していってほしいです。
さて個人的に嬉しかったのは、智香さんの現代アート感と、
私の伝統のお能感(世阿弥など)が全く同じだったということです!!
ドキドキしてしまって、1人で盛り上がってしまいました^_^;
急にトーンUPなので、ぜひラジオでお聞きください。
あとで智香さんに「マヤちゃん、急に興奮するんだから~」って言われちゃいました。
すみません、世紀の大発見をしたと思っているので、お許しください。
というわけで、京都のアーティスト向井智香さんの作品発表、
これからも番組で追って行きたいと思います。
樋口
-----
先日、ふらっと立ち寄った京都芸術センターで「パラレルワールド」という展覧会を観ました。
パンフレットの説明も読まずに飛び込んだ部屋という空間で、
まさにパラレルな、日常では体験できないような、だけど見方を変えた日常のような、
不思議な世界を体験することができました。
そして今回、向井さんの作品を観て、現実の一部を"そうあるべき"という既成概念から
少し離れてみているような、奇妙な感覚になりました。
知っていたはずのものが違って見える、とでもいいましょうか。
いくつになっても世界が新鮮に感じられる。こういう感覚、大好きです。
誰にでも受け入れられる作品でないかもしれません。
私の母親の世代などは、頭に?がいっぱい浮かんでしまうでしょう。
そして芸術性の高い作品は、よく、感覚(センス)のみで作られたものと思われがちですが、
向井さん曰く、「ものすごく考える」のだそうです。
感覚でつくるのではなく、こうしたらこう見える、ということを研究するように
徹底的に考えてからつくる、とおっしゃっていたのがとても印象に残りました。
いつか実際に目の前で観てみたいと思いました。
林
2011/10/05
『下京・町衆倶楽部』誕生
今回(10/3放送)はゲストに下京区役所の岸根係長と首藤さんを
お迎えしました。今月から始まった『下京・町衆倶楽部』会員募集と
第一回交流会の宣伝にお越しくださいました。
お役所系の岸根係長と、アメリカンな首藤さんのトークのおかげで
とても楽しい収録になりました。
そもそも『下京・町衆倶楽部』とは何ぞや、という事なんですが、
「下京区が好きでなにかしたいと思っていらっしゃる方々のお手伝いを、
下京区役所がしたい」ということで、第一回交流会(10月26日)が
その方々が集まる最初の会になるとのことです。
「なにをする倶楽部?」と質問しましたところ、
「倶楽部に入ってくれる人、交流会に来てくれる人のしたいことをする会」
とのことで、私たちは分からないとの事でした。
なんとも雲をつかむような倶楽部方針だなと思いきや、
倶楽部・交流会の参加者をお尋ねしたところ、
既に30人以上の方々の応募があったそうで、
世代も19歳から81歳まで、老若男女問わずの応募があったとのことです。
なかでも30・40代の応募が多かったようですが、
実は市民活動的にいうと、このあたりの世代はなかなか忙しくて
活動に参加してもらえないブラックゾーンな世代でもあります。
そういう方々が参加されるとのこと、とても新しい匂いがいたします。
それでも一体なにをするんだろう…と思って聞いたところ、
現在応募者の希望では「下京区の歴史のことを知る」「高瀬川のことを知る」
…などなどのご意見があったそうです。
あとは「何をしたらいいのか分からんけど、何かする」というご意見も。
前向きさに驚いてしまいました。
樋口の第一印象として、下京区という行政がすることなので、
固い会になるのでは…と思いきや、岸根さんと首藤さんの朗らかさに
それは違うということがわかり、ポスターを見て、
まさか行政のポスターとは思えないほどの芸術心を感じました。
私も京都が好きで、下京区ももちろん大好きです。
なにか下京区で新しいことが始まるのでは…!?
そんな印象を感じました10月の収録でした。
10月26日夜は下京区役所がにぎやかになりそうです。
交流会の申し込みはこちらから。
樋口
お迎えしました。今月から始まった『下京・町衆倶楽部』会員募集と
第一回交流会の宣伝にお越しくださいました。
お役所系の岸根係長と、アメリカンな首藤さんのトークのおかげで
とても楽しい収録になりました。
そもそも『下京・町衆倶楽部』とは何ぞや、という事なんですが、
「下京区が好きでなにかしたいと思っていらっしゃる方々のお手伝いを、
下京区役所がしたい」ということで、第一回交流会(10月26日)が
その方々が集まる最初の会になるとのことです。
「なにをする倶楽部?」と質問しましたところ、
「倶楽部に入ってくれる人、交流会に来てくれる人のしたいことをする会」
とのことで、私たちは分からないとの事でした。
なんとも雲をつかむような倶楽部方針だなと思いきや、
倶楽部・交流会の参加者をお尋ねしたところ、
既に30人以上の方々の応募があったそうで、
世代も19歳から81歳まで、老若男女問わずの応募があったとのことです。
なかでも30・40代の応募が多かったようですが、
実は市民活動的にいうと、このあたりの世代はなかなか忙しくて
活動に参加してもらえないブラックゾーンな世代でもあります。
そういう方々が参加されるとのこと、とても新しい匂いがいたします。
それでも一体なにをするんだろう…と思って聞いたところ、
現在応募者の希望では「下京区の歴史のことを知る」「高瀬川のことを知る」
…などなどのご意見があったそうです。
あとは「何をしたらいいのか分からんけど、何かする」というご意見も。
前向きさに驚いてしまいました。
樋口の第一印象として、下京区という行政がすることなので、
固い会になるのでは…と思いきや、岸根さんと首藤さんの朗らかさに
それは違うということがわかり、ポスターを見て、
まさか行政のポスターとは思えないほどの芸術心を感じました。
私も京都が好きで、下京区ももちろん大好きです。
なにか下京区で新しいことが始まるのでは…!?
そんな印象を感じました10月の収録でした。
10月26日夜は下京区役所がにぎやかになりそうです。
交流会の申し込みはこちらから。
樋口
2011/09/05
町家を残していくには。
今回の収録では「四条京町家」の運営に携わっておられる
滋野浩毅さんにお越しいただきました。
四条京町家は四条西洞院の北側のバス停のちょうど前にある町家です。
ここの町家は4つのNPO法人で管理運営されています。
滋野さんはそのうちの一つを担っていらっしゃいます。
四条京町家のホームページにはイベント情報が多数掲載されており、
一年を通してさまざまなイベントが、行われています。
「おはようさんどす」の司会の「京ことばの会」さんは、よくここでイベントをされています。
しかし室町通り周辺は、さすが呉服屋が集まる場所、本当に町家が多いなという印象です。
最近は少なくなってしまってとても残念ですが、京都の主となる四条通りという大きな通りに
町家が残っていることがうれしく思います。祇園祭には郭巨山が町内から出されます。
ラジオではいろいろと楽しい話を聞かせていただきましたが、
私が心に残っていることは運営をする難しさです。
家賃などはもちろんのこと、町家というのは使わないと傷む、
使うと傷むという手のかかる生き物です。
町家は使ってあげないと、そして少しずつ直してあげないと長生きはできません。
洋風の家にはない感覚かと思いますが、そういう「自分の住む場所を手入れする」
という余裕も必要なんだなと思います。町家の掃除というのは洋風の家とは違い
大変な面もありますが、しかし掃除というよりも「手入れ」という感覚でしょうか。
そういう気持ちも大切にしたいと思います。
そのためにはやはり知っていただくということが大切かと思います。
このラジオの放送が、四条京町家を知るきっかけになればうれしく思います。
ぜひ一度四条京町家へお越しください。
・・・・・・・・・・・・・・・
四条京町家
京都市下京区四条通西洞院東入
TEL 075-255-0801
・・・・・・・・・・・・・・・
滋野さんご出演の回はこちらでお聴きいただけます。
滋野浩毅さんにお越しいただきました。
四条京町家は四条西洞院の北側のバス停のちょうど前にある町家です。
ここの町家は4つのNPO法人で管理運営されています。
滋野さんはそのうちの一つを担っていらっしゃいます。
四条京町家のホームページにはイベント情報が多数掲載されており、
一年を通してさまざまなイベントが、行われています。
9月9日までは、早朝6:30〜開放されており、マイボトルを持ち込めば
お茶を入れてもらえるサービスなどが受けられるそうです!
ちなみに樋口がお世話になっております、ラジオカフェの毎朝月曜10時半からのお茶を入れてもらえるサービスなどが受けられるそうです!
「おはようさんどす」の司会の「京ことばの会」さんは、よくここでイベントをされています。
しかし室町通り周辺は、さすが呉服屋が集まる場所、本当に町家が多いなという印象です。
最近は少なくなってしまってとても残念ですが、京都の主となる四条通りという大きな通りに
町家が残っていることがうれしく思います。祇園祭には郭巨山が町内から出されます。
ラジオではいろいろと楽しい話を聞かせていただきましたが、
私が心に残っていることは運営をする難しさです。
家賃などはもちろんのこと、町家というのは使わないと傷む、
使うと傷むという手のかかる生き物です。
町家は使ってあげないと、そして少しずつ直してあげないと長生きはできません。
洋風の家にはない感覚かと思いますが、そういう「自分の住む場所を手入れする」
という余裕も必要なんだなと思います。町家の掃除というのは洋風の家とは違い
大変な面もありますが、しかし掃除というよりも「手入れ」という感覚でしょうか。
そういう気持ちも大切にしたいと思います。
そのためにはやはり知っていただくということが大切かと思います。
このラジオの放送が、四条京町家を知るきっかけになればうれしく思います。
ぜひ一度四条京町家へお越しください。
・・・・・・・・・・・・・・・
四条京町家
京都市下京区四条通西洞院東入
TEL 075-255-0801
・・・・・・・・・・・・・・・
滋野さんご出演の回はこちらでお聴きいただけます。
2011/07/31
季節感の大切さ。
今回はNPO法人 就労ネットうじ みっくすはあつの濱 千恵さんにお越しいただきました。
浴衣姿で夏らしく、そして涼しさの演出、ありがとうございます。
写真を撮らなかったのが、残念!!
千恵さんは現在、障害者の就労支援、つまり仕事をして自立できるように
という支援活動を行っていらっしゃいます。
最近の出来事は、今年の春から仕事場となった城陽の畑で、夏野菜が
たくさん取れだしたとのことでした。収録の日もスイカを収穫したそう。
また畑にいてると、疲れもとれて、草むしりですらも楽しみの連続とのこと。
千恵さんの活動のヒントになっているのは、「季節感」。
樋口にとっては、「文化を表現するための季節感」でしたが、千恵さんは
「おいしくいただくための季節感」で旬の野菜を大切にされているようです。
一番おいしい時期の野菜を食べながら、そして障害者のかたも元気に働けたら
楽しみの連鎖が繰り返しますね!
また千恵さんは学生時代にドイツに留学されていたとの事で、
世界を見据えた活動を考えてられます。今後も留学を予定されているとの事で、
前向きで本当に明るい千恵さんがとってもに頼もしく感じられます。
ちなみに現在、お琴・三味線・着付けをお稽古中とのこと。
ライフスタイルに和文化が根付いていることを本当に嬉しく思います。
彼女ももちろん、世界を見据えたやまとなでしこですね!
また機会があればお話を聞きたいと思います。
濱 千恵さんのお話はこちらでお聴きいただけます。
樋口
浴衣姿で夏らしく、そして涼しさの演出、ありがとうございます。
写真を撮らなかったのが、残念!!
千恵さんは現在、障害者の就労支援、つまり仕事をして自立できるように
という支援活動を行っていらっしゃいます。
最近の出来事は、今年の春から仕事場となった城陽の畑で、夏野菜が
たくさん取れだしたとのことでした。収録の日もスイカを収穫したそう。
また畑にいてると、疲れもとれて、草むしりですらも楽しみの連続とのこと。
千恵さんの活動のヒントになっているのは、「季節感」。
樋口にとっては、「文化を表現するための季節感」でしたが、千恵さんは
「おいしくいただくための季節感」で旬の野菜を大切にされているようです。
一番おいしい時期の野菜を食べながら、そして障害者のかたも元気に働けたら
楽しみの連鎖が繰り返しますね!
また千恵さんは学生時代にドイツに留学されていたとの事で、
世界を見据えた活動を考えてられます。今後も留学を予定されているとの事で、
前向きで本当に明るい千恵さんがとってもに頼もしく感じられます。
ちなみに現在、お琴・三味線・着付けをお稽古中とのこと。
ライフスタイルに和文化が根付いていることを本当に嬉しく思います。
彼女ももちろん、世界を見据えたやまとなでしこですね!
また機会があればお話を聞きたいと思います。
濱 千恵さんのお話はこちらでお聴きいただけます。
樋口
2011/02/08
京都のまちをまいまいして楽しむ
2月7日の放送では、まいまい京都の以倉さんをお招きし、
京都で開催されている「まち歩き」のイベントについてお話いただきました。
林も参加した12月5日の映画『マザーウォーター』のロケ地を巡るツアー
(一乗寺・白川疎水など)では、実際にロケ地に暮らすガイドさんの案内のもと、
いわゆる「観光地」ではない「日常の京都」の楽しみ方を知ることができました。
以倉さんにとってまち歩きとは、まちをもっと楽しむための手段であり、
現代人が忘れてしまった日常の中のまちの楽しみ方の発見であり、ひいては
マスメディアに頼らず、自らが動いてつながっていくことにつながることだそうです。

“そのまちを好きだというだけで、誰でもガイド(語り部)になれる”
学校の授業でもそうですが、聴いているだけでは身にはならない。
自分が伝える側になることで気づき、見えてくることがたくさんある。
まち歩きのツアーでも、ガイドと参加者が「教える側と教えられる側」ではなく、
お互いに対等な立場で楽しむことができるように心がけておられるそう。
ガイドさんには「自分のまちを自慢しください」とお願いしてます、
とおっしゃる以倉さん。京都というまちを好きな人なら、誰でもガイドになれます、とも。
まち歩きというと、歴史探訪と思われがちですが、歴史の観点だけでなく
現代の日常生活に基づいて語られることにも重きを置いているとか。
そのまちへの熱い思いを伝えていただくことが一番。
林が参加したときもガイドさんの熱い思いをしっかと感じ取りました。
収録後のお話で印象に残ったのが、文化や伝統といった、普段あまり
説明がなされない分野においても、なぜそれがそうなるのか?!
(例えば茶道でお茶をいただくときなぜお茶碗を回すのか?等)
といったことの説明をしてもらえたら、もっと楽しめるのに!とおっしゃっていたこと。
ある意味、そういった「説明しないことの美しさ」へのアンチテーゼ?!
となるような活動なのかもしれないと。
それは否定というよりは、幅広い楽しみ方の提案ではないかと林は感じました。
今後は市民ひとりひとりによって支えられるようなイベントにしていきたいとのことでした。
あなたも、自分の好きなまちのガイドになってみませんか?
ちょっと照れくさいけど、このまちを好きな人がもっと増えたらうれしいですよね。
以倉さんのお話はこちらでお聴きいただけます。
3〜5月にかけて毎週末まち歩きを企画されているまいまい京都さんのホームページはこちら。
京都で開催されている「まち歩き」のイベントについてお話いただきました。
林も参加した12月5日の映画『マザーウォーター』のロケ地を巡るツアー
(一乗寺・白川疎水など)では、実際にロケ地に暮らすガイドさんの案内のもと、
いわゆる「観光地」ではない「日常の京都」の楽しみ方を知ることができました。
以倉さんにとってまち歩きとは、まちをもっと楽しむための手段であり、
現代人が忘れてしまった日常の中のまちの楽しみ方の発見であり、ひいては
マスメディアに頼らず、自らが動いてつながっていくことにつながることだそうです。
“そのまちを好きだというだけで、誰でもガイド(語り部)になれる”
学校の授業でもそうですが、聴いているだけでは身にはならない。
自分が伝える側になることで気づき、見えてくることがたくさんある。
まち歩きのツアーでも、ガイドと参加者が「教える側と教えられる側」ではなく、
お互いに対等な立場で楽しむことができるように心がけておられるそう。
ガイドさんには「自分のまちを自慢しください」とお願いしてます、
とおっしゃる以倉さん。京都というまちを好きな人なら、誰でもガイドになれます、とも。
まち歩きというと、歴史探訪と思われがちですが、歴史の観点だけでなく
現代の日常生活に基づいて語られることにも重きを置いているとか。
そのまちへの熱い思いを伝えていただくことが一番。
林が参加したときもガイドさんの熱い思いをしっかと感じ取りました。
収録後のお話で印象に残ったのが、文化や伝統といった、普段あまり
説明がなされない分野においても、なぜそれがそうなるのか?!
(例えば茶道でお茶をいただくときなぜお茶碗を回すのか?等)
といったことの説明をしてもらえたら、もっと楽しめるのに!とおっしゃっていたこと。
ある意味、そういった「説明しないことの美しさ」へのアンチテーゼ?!
となるような活動なのかもしれないと。
それは否定というよりは、幅広い楽しみ方の提案ではないかと林は感じました。
今後は市民ひとりひとりによって支えられるようなイベントにしていきたいとのことでした。
あなたも、自分の好きなまちのガイドになってみませんか?
ちょっと照れくさいけど、このまちを好きな人がもっと増えたらうれしいですよね。
以倉さんのお話はこちらでお聴きいただけます。
3〜5月にかけて毎週末まち歩きを企画されているまいまい京都さんのホームページはこちら。
2010/11/02
生物多様性と森のお話
11月1日の放送では、いきもの多様性研究所の小山さんに、
森や、そこに暮らす動物と人間との関わりについてお話していただきました。
最近の熊のの出没の要因など、色々とお話していただきました。
当初は「いきもの多様性」さんのお話ということで、
終始動物の話をされるのかと思っていたところ、
動物が十分に生きるためには多様な植物からなる森が必要と言うことで、
森の話がほとんどでした。
まるで植物を大切にされている方々の意見のようで、植林などのお話でした。
滋賀県最大級のトチ、カツラの巨木が伐採:いきもの多様性研究所blog
動物が生きるためには植物が大切で、エサになる実のなる木などが大切なのですね!
とても納得いたしました。また、木の実は動物に食べられて種がフンとして
排泄されるほうが発芽しやすくなるとのことで、植物にとっても動物が必要なのだそうです。
森って何なんでしょう。
人間のための森、つまりスギやヒノキなどの材木を取るためにつくった
1種類だけの人工林では、えさが無く、熊などの獣が生活しづらいのです。
またスギやヒノキは花を咲かすけれども蜜を出さないので、
ミツバチなどの昆虫もあまり生きることが出来ないそうです。
先日の京都新聞の記事で読んだ、京都大学所有の森での昆虫の数が激減している
という話を思い出しました。
また手入れされなくなった人工林は地面が暗くなり、下草が生えず、
余計に動物たちが棲みづらくなるということ。
最近の熊の里への出没の原因としてよく報道されている
「猛暑による木の実の不作やナラ枯れ」に加え、
大きな要因として、自然の森が人工林に置き換わり、
動物が棲めるような森がなくなっていることが上げられるとのことでした。
いきもの多様性研究所さんから森の話を聞いたこと、
地球のいきものは動物も植物も大いに繋がっていることを
ひしひしと感じることが出来ました。
また機会があれば植林などにも参加してみたいし、
森のことも知っていけたらと思います。
樋口
森や、そこに暮らす動物と人間との関わりについてお話していただきました。
最近の熊のの出没の要因など、色々とお話していただきました。
当初は「いきもの多様性」さんのお話ということで、
終始動物の話をされるのかと思っていたところ、
動物が十分に生きるためには多様な植物からなる森が必要と言うことで、
森の話がほとんどでした。
まるで植物を大切にされている方々の意見のようで、植林などのお話でした。
滋賀県最大級のトチ、カツラの巨木が伐採:いきもの多様性研究所blog
動物が生きるためには植物が大切で、エサになる実のなる木などが大切なのですね!
とても納得いたしました。また、木の実は動物に食べられて種がフンとして
排泄されるほうが発芽しやすくなるとのことで、植物にとっても動物が必要なのだそうです。
森って何なんでしょう。
人間のための森、つまりスギやヒノキなどの材木を取るためにつくった
1種類だけの人工林では、えさが無く、熊などの獣が生活しづらいのです。
またスギやヒノキは花を咲かすけれども蜜を出さないので、
ミツバチなどの昆虫もあまり生きることが出来ないそうです。
先日の京都新聞の記事で読んだ、京都大学所有の森での昆虫の数が激減している
という話を思い出しました。
また手入れされなくなった人工林は地面が暗くなり、下草が生えず、
余計に動物たちが棲みづらくなるということ。
最近の熊の里への出没の原因としてよく報道されている
「猛暑による木の実の不作やナラ枯れ」に加え、
大きな要因として、自然の森が人工林に置き換わり、
動物が棲めるような森がなくなっていることが上げられるとのことでした。
いきもの多様性研究所さんから森の話を聞いたこと、
地球のいきものは動物も植物も大いに繋がっていることを
ひしひしと感じることが出来ました。
また機会があれば植林などにも参加してみたいし、
森のことも知っていけたらと思います。
樋口
2010/10/23
梅小路公園・水族館建設の問題点
10月18日の放送では、いきもの多様性研究所の西本さん、小山さんをお招きし、
梅小路公園で進められている水族館の建設の問題点をお話ししていただきました。
この計画、色々と調べていく内に、市民の意見を言うとすると、
京都市に言えばよいのか、オリックス不動産に言えばいいのか、
よく分からない状況でもあります。
市民の意見はいったいどこが受け皿となってくれるのでしょうか?
それとも意見を聞く窓口はないのでしょうか?
考える会さん主催の第二回の公開シンポジウム
「京都・梅小路公園に水族館?〜生物多様性から考える〜」
に参加して分かったことですが、
現在、京都市と京都大学が連携して
「水族館でどんな施設を作るか、どんな研究をするか」
ということを話し合っているそうです。
そういうことは建設が始まる企画段階で
決まっていけないことではないのでしょうか。
むしろそのような意義があるからこそ、
水族館は必要ということになるのではないでしょうか?
もう建設が始まっていますが、これから話し合いとは、
一体どんな建物が建つのでしょうか?
私には研究よりも水族館を作るための話し合い、
水族館を作るための大義名分を探しているように思えます。
素人目では色々と混乱してきましたので、
この問題にに詳しく、また法然院で「梅小路公園の未来を考える会」を
主催されてきましたお二人から、核心となるお話をしていただきました。
10月18日の放送はこちらから。
また来週10月25日(月)、第三回のシンポジウムが開かれますので、
そちらにも是非お越し下さればと思います。
樋口
梅小路公園で進められている水族館の建設の問題点をお話ししていただきました。
“市民の声が届かない現状”
この計画、色々と調べていく内に、市民の意見を言うとすると、
京都市に言えばよいのか、オリックス不動産に言えばいいのか、
よく分からない状況でもあります。
市民の意見はいったいどこが受け皿となってくれるのでしょうか?
それとも意見を聞く窓口はないのでしょうか?
“建設中なのに施設の話し合い”
考える会さん主催の第二回の公開シンポジウム
「京都・梅小路公園に水族館?〜生物多様性から考える〜」
に参加して分かったことですが、
現在、京都市と京都大学が連携して
「水族館でどんな施設を作るか、どんな研究をするか」
ということを話し合っているそうです。
そういうことは建設が始まる企画段階で
決まっていけないことではないのでしょうか。
むしろそのような意義があるからこそ、
水族館は必要ということになるのではないでしょうか?
もう建設が始まっていますが、これから話し合いとは、
一体どんな建物が建つのでしょうか?
私には研究よりも水族館を作るための話し合い、
水族館を作るための大義名分を探しているように思えます。
素人目では色々と混乱してきましたので、
この問題にに詳しく、また法然院で「梅小路公園の未来を考える会」を
主催されてきましたお二人から、核心となるお話をしていただきました。
10月18日の放送はこちらから。
また来週10月25日(月)、第三回のシンポジウムが開かれますので、
そちらにも是非お越し下さればと思います。
樋口
2010/08/17
肌で感じること、大切にすること
8月16日放送分では昔ながらの楽しみ方を考え、
日々実践しておられる加藤わこさんに来ていただきました。
→加藤わこさんについての詳しい情報はこちらを〈加藤わこ三度笠書簡〉
冒頭は「ほんとの自然との関わり方」について
ご自身の体験された驚きのこどもキャンプについてからお話ししてくださいました。
要旨は「本物の自然に出会う場がどんどん減っているね」
「本物に触れないと、愛着って沸かないよね」
「水族館で見る生態を見て、愛着がわくのか、教育になるのか?」
というあたりだったのですが、6分では伝え切れなかったこと、
オフレコで心に留まった言葉があるので、それを少々記します。
“ケガをしたっていいんじゃない?スリルも楽しみの1つじゃない?”
まず林と樋口が驚いたのが、大人たちによって囲われた川の中で遊ぶということ。
このキャンプの目的は「安全に何事もなく楽しむ」ということで、こどもは絶対に
ケガをしてはいけない(させてはいけない)らしいです。
囲いから出ようとした子がいたら、厳しく怒られるとか。
私たちはすでにここに疑問が。私たちが体験したキャンプって、元気のいい子の半分は
大なり小なりケガをしていたんじゃないでしょうか。絆創膏はみんな持参だったし、
言葉にはしませんがある意味では擦り傷程度の負傷は、前提だったのではないでしょうか。
そのうちにちょっと大きなケガをした子が出てきて、すると少し大きな絆創膏を
持ってきた女の子が活躍することがあって…という光景が思い出されます。
私も男の子とやんちゃに遊ぶ子どもだったので、かすり傷や打ち身は負って当たり前
という感覚だったように思います。そもそも危険な岩場を歩いたり、髪の毛に草が
いっぱいつくようなところをくぐったりするのが楽しかったのではないでしょうか?
林が「キャンプはそういうスリルが楽しいよね。あと、海外旅行なんて行けば
トラブルなしのほうが珍しいし……。」と言っていました。まさにそうですよね。
自然の寛大なスリルで楽しむことと、外国でのヒヤッとする危険を乗り越えること。
全く同じだとは思いませんが、通じるものはあるかもしれません。
社会に出れば出るほど、スリルどころか危険に遭遇することは増えるでしょう。
子どもが元気で乗り越えられるケガくらいは、大目に見てほしいと思います。
それをたくましいね!ってほめてあげてほしいです。むしろあまり大切に
育てすぎてしまうと、弱い大人になってしまいそうです。
“ほんとの自然と出会うこと。研ぎ澄ませて遊ぶこと”
そして話は及んで、ものを愛するということについて。
大人によって囲われた川は、こども達にとってどんな「川」に映るのでしょうか?
私ははっきり言って、それを「川」って言ってほしくありません。
わこさんも林も同意見でした。
川というのは、緩やかな流れがあったり、深みがあったり、急に冷たい水の流れが
あったり、静かな水面で石をひっくり返すと変な魚がいたり…その他色々。
ちょっとした緊張の中、発見だらけで五感を働かせて遊べるところが川だと思います。
また「キャンプで汚れた食器を洗うとき、合成洗剤はダメでしょう。川が汚れるし
第一、洗剤は自然のものではありません。砂で洗おうよ、十分きれいになるし、
自然にも優しいよ」という、わこさん。
まさにそうですよね。せっかく大自然の中にいるんだから、油汚れを洗剤とスポンジで
ゴシゴシ…という台所とは違う炊事をしたいです。そしてそうすることで洗剤の怖さや
川を大切にする気持ちが芽生えるのではないでしょうか。
山にいろんなものを持ち込んで、その中で町の生活をすることは
「自然を体験すること」ではありません。自然の雄大さを感じながら、
人間の小ささを知りながら、1日を生きてみる。大きな準備は必要ないと思います。
できるだけ自然に合わせて過ごすことが自然を体験することではないでしょうか。
“愛するとき。そのもののことを真剣に考えられるとき”
そして話はものとの関わり方から愛することについて。
なんでも本物に触れていなければ、そのもののことを大切に考えることは出来ない
という話になりました。
つまり本物の自然に触れていなければ本当に自然を知ったとはいえないし、
本当に知らないものをこころから愛することは出来ないということです。
先ほどの話で言えば、囲われた川の中で遊んだ子は、川の生き物や水のことを
真剣に考えられるか…ということです。
そのものとじかに触れ合っていないと、うわべだけではなく心から愛することは出来ないし、
そのためになにか行動するということもできないのではないかということです。
これは自然だけではなく、街についても言えることです。
わこさん曰く、「車で通りすぎる街を愛することが出来ますか?道を歩くからこそ、
街に愛着がわくのではないですか?結局じかに触れて愛するということは、
お金もかかりませんが、とても地道なことなんです」と。
たしかにそうですよね。キャンプでも、連れて行ってもらったきれいな場所よりも、
自分で見つけた石の下の昆虫の住処のほうがドキドキします。
街でも教えてもらった場所よりも、自分で発見した場所の方が特別な気がします。
つまりはゆっくりでも地道に触れ合っていくことが、
そのものを愛するための一番の特効薬ということです。
それが明日、自然を守るため、街を元気にするための第一歩となるということでしょうか。
……考えさせられます。
「歩くまち京都」。まさにそうですよね。
かたや「内陸型水族館」……。考えさせられます……。
とりあえず、五感を研ぎ澄ませて街をあるいてみますか。
なにか発見があるかもしれない!!
それではわこさん、ありがとうございました。
樋口
日々実践しておられる加藤わこさんに来ていただきました。
→加藤わこさんについての詳しい情報はこちらを〈加藤わこ三度笠書簡〉
冒頭は「ほんとの自然との関わり方」について
ご自身の体験された驚きのこどもキャンプについてからお話ししてくださいました。
要旨は「本物の自然に出会う場がどんどん減っているね」
「本物に触れないと、愛着って沸かないよね」
「水族館で見る生態を見て、愛着がわくのか、教育になるのか?」
というあたりだったのですが、6分では伝え切れなかったこと、
オフレコで心に留まった言葉があるので、それを少々記します。
“ケガをしたっていいんじゃない?スリルも楽しみの1つじゃない?”
まず林と樋口が驚いたのが、大人たちによって囲われた川の中で遊ぶということ。
このキャンプの目的は「安全に何事もなく楽しむ」ということで、こどもは絶対に
ケガをしてはいけない(させてはいけない)らしいです。
囲いから出ようとした子がいたら、厳しく怒られるとか。
私たちはすでにここに疑問が。私たちが体験したキャンプって、元気のいい子の半分は
大なり小なりケガをしていたんじゃないでしょうか。絆創膏はみんな持参だったし、
言葉にはしませんがある意味では擦り傷程度の負傷は、前提だったのではないでしょうか。
そのうちにちょっと大きなケガをした子が出てきて、すると少し大きな絆創膏を
持ってきた女の子が活躍することがあって…という光景が思い出されます。
私も男の子とやんちゃに遊ぶ子どもだったので、かすり傷や打ち身は負って当たり前
という感覚だったように思います。そもそも危険な岩場を歩いたり、髪の毛に草が
いっぱいつくようなところをくぐったりするのが楽しかったのではないでしょうか?
林が「キャンプはそういうスリルが楽しいよね。あと、海外旅行なんて行けば
トラブルなしのほうが珍しいし……。」と言っていました。まさにそうですよね。
自然の寛大なスリルで楽しむことと、外国でのヒヤッとする危険を乗り越えること。
全く同じだとは思いませんが、通じるものはあるかもしれません。
社会に出れば出るほど、スリルどころか危険に遭遇することは増えるでしょう。
子どもが元気で乗り越えられるケガくらいは、大目に見てほしいと思います。
それをたくましいね!ってほめてあげてほしいです。むしろあまり大切に
育てすぎてしまうと、弱い大人になってしまいそうです。
“ほんとの自然と出会うこと。研ぎ澄ませて遊ぶこと”
そして話は及んで、ものを愛するということについて。
大人によって囲われた川は、こども達にとってどんな「川」に映るのでしょうか?
私ははっきり言って、それを「川」って言ってほしくありません。
わこさんも林も同意見でした。
川というのは、緩やかな流れがあったり、深みがあったり、急に冷たい水の流れが
あったり、静かな水面で石をひっくり返すと変な魚がいたり…その他色々。
ちょっとした緊張の中、発見だらけで五感を働かせて遊べるところが川だと思います。
また「キャンプで汚れた食器を洗うとき、合成洗剤はダメでしょう。川が汚れるし
第一、洗剤は自然のものではありません。砂で洗おうよ、十分きれいになるし、
自然にも優しいよ」という、わこさん。
まさにそうですよね。せっかく大自然の中にいるんだから、油汚れを洗剤とスポンジで
ゴシゴシ…という台所とは違う炊事をしたいです。そしてそうすることで洗剤の怖さや
川を大切にする気持ちが芽生えるのではないでしょうか。
山にいろんなものを持ち込んで、その中で町の生活をすることは
「自然を体験すること」ではありません。自然の雄大さを感じながら、
人間の小ささを知りながら、1日を生きてみる。大きな準備は必要ないと思います。
できるだけ自然に合わせて過ごすことが自然を体験することではないでしょうか。
“愛するとき。そのもののことを真剣に考えられるとき”
そして話はものとの関わり方から愛することについて。
なんでも本物に触れていなければ、そのもののことを大切に考えることは出来ない
という話になりました。
つまり本物の自然に触れていなければ本当に自然を知ったとはいえないし、
本当に知らないものをこころから愛することは出来ないということです。
先ほどの話で言えば、囲われた川の中で遊んだ子は、川の生き物や水のことを
真剣に考えられるか…ということです。
そのものとじかに触れ合っていないと、うわべだけではなく心から愛することは出来ないし、
そのためになにか行動するということもできないのではないかということです。
これは自然だけではなく、街についても言えることです。
わこさん曰く、「車で通りすぎる街を愛することが出来ますか?道を歩くからこそ、
街に愛着がわくのではないですか?結局じかに触れて愛するということは、
お金もかかりませんが、とても地道なことなんです」と。
たしかにそうですよね。キャンプでも、連れて行ってもらったきれいな場所よりも、
自分で見つけた石の下の昆虫の住処のほうがドキドキします。
街でも教えてもらった場所よりも、自分で発見した場所の方が特別な気がします。
つまりはゆっくりでも地道に触れ合っていくことが、
そのものを愛するための一番の特効薬ということです。
それが明日、自然を守るため、街を元気にするための第一歩となるということでしょうか。
……考えさせられます。
「歩くまち京都」。まさにそうですよね。
かたや「内陸型水族館」……。考えさせられます……。
とりあえず、五感を研ぎ澄ませて街をあるいてみますか。
なにか発見があるかもしれない!!
それではわこさん、ありがとうございました。
樋口
2010/08/07
水族館シンポジウムの感想+α
第17回の放送で、梅小路公園の未来を考える会さん主催のシンポジウムに参加して
特に心に残ったことを少しだけお話しました。とても濃い内容でしたので、
短い時間の中で伝えきれなかったお話がまだまだありました。もう少しだけ。
(第17回のラジオの放送はこちらから)
考える会の主催者のお一人、法然院の梶田さんが合間にされた短いお話。
『法然院(森のセンター)では、毎年ムササビの観察会をしていますが、
毎回ムササビが観られるというわけではないのです。
観られないこともある。それが自然というものなのです』
子どもたちに(大人にも、ですが)動物園や水族館に行けばいつでも観られる、
でもそれが当たり前だと思ってほしくないな、ということです。
動物だっていきものです。こちらが観たい!と思ってもその通りにしてくれるとは
限りません。でもショーのように「行けば観られる」という考え方だと
本当の自然がわかったとは言えないのではないでしょうか。
また、それにつながるのですが、中村桂子さん(JT生命誌研究館館長)のお話で、
『(いのちの輝きとは・・・という話からの流れで)いのちっていうと、
輝きや美しさという部分だけではないんですね。そもそも、生きるということは、
めんどうなことを受け入れることで、でも今の時代、苦労せずともなんでも
ボタン一つで出来てしまうことが多いですね・・・』
テレビのリモコンにしろ、全自動洗濯機にしろ、ボタンを押せば
すぐさまやりたいことができてしまう、便利な世の中になりました。
そういった便利な機能を使うことで、その分、他のことに時間を回せるといえば
良いことにも感じられますが、それは「手抜き」をしているとも言えるのです。
何の努力をせずとも豊かさ・楽しみを得られる。そんなことが当たり前の世の中に
なっているのではないでしょうか。もちろんそれを全否定するわけではありませんが。
そういった社会のなかで、水族館や動物園が求められているような気もします。
めんどうなことも多いですが、そこで思考停止に陥らずに、
みんなでいい方法を考えていきましょう。と水族館の話につながりました。
また、中村さんは動物園や水族館で非日常的な動物に触れる前に、
自分の身近にいるいきもの、昆虫や植物などをじっくり観察することも
大事だとおっしゃっていました。
そういった身近のなんてことないものを大切に見守ることのほうが
「いのちの大切さ」を実感できるような気もしますね。
ゴリラの研究者である山極寿一さんは、動物園についてのお話も。
動物園はできてからしばらく動物の収容施設でした。
動物にとって居心地のよい場所を作ろうとしたのは100年以上経ってから。
ゴリラも飼育しはじめてから子どもを産める環境になるのに100年かかりました。
水族館は動物を訓練させてショーとして魅せる、まだその域から出ていません。
環境や生物多様性などに配慮を見せる京都という都市に新たに水族館をつくるなら、
ものすごい覚悟の上でやらなければならないでしょう。
また、ショーというものは、見る側に誤解を与えやすいものです。
テレビなどで放送される動物を擬人化したようなものでも、
誤った情報を流していることがあります。
‥‥‥‥‥‥
梶田さんのムササビの話で思い出しました。以前カナダのイエローナイフという町へ
オーロラを観に行くツアーに参加しました。イエローナイフはオーロラが見える町として
世界的に有名なところです。
オーロラを観るツアーですから、いちばんの目的は「オーロラ」です。
でも、オーロラは自然現象です。太陽から飛んでくる粒子が、地球の周りを囲む大気圏で
酸素などとぶつかり、いろいろな色で発光します。当然のことながら、条件が揃わないと
観られないこともあります。
お金を払っていくからにはなんとしても観たいと思うものですが、ツアー3日間の設定で
観られずに帰らなければならないこともあるそうです。もちろんツアーの概要にも
免責として「観られないこともある」と書いてあります。
私の行ったときは運よく観られましたが、観られなかったらなんだか納得いきませんよね。
でも、それが自然なのです。思うようにはならないから、自然なのですね。
そう思うと、人間も自然の一部。人を思うように動かしたいと思ってもそうはいかない、
それも納得できる気が。
林
特に心に残ったことを少しだけお話しました。とても濃い内容でしたので、
短い時間の中で伝えきれなかったお話がまだまだありました。もう少しだけ。
(第17回のラジオの放送はこちらから)
考える会の主催者のお一人、法然院の梶田さんが合間にされた短いお話。
『法然院(森のセンター)では、毎年ムササビの観察会をしていますが、
毎回ムササビが観られるというわけではないのです。
観られないこともある。それが自然というものなのです』
子どもたちに(大人にも、ですが)動物園や水族館に行けばいつでも観られる、
でもそれが当たり前だと思ってほしくないな、ということです。
動物だっていきものです。こちらが観たい!と思ってもその通りにしてくれるとは
限りません。でもショーのように「行けば観られる」という考え方だと
本当の自然がわかったとは言えないのではないでしょうか。
また、それにつながるのですが、中村桂子さん(JT生命誌研究館館長)のお話で、
『(いのちの輝きとは・・・という話からの流れで)いのちっていうと、
輝きや美しさという部分だけではないんですね。そもそも、生きるということは、
めんどうなことを受け入れることで、でも今の時代、苦労せずともなんでも
ボタン一つで出来てしまうことが多いですね・・・』
テレビのリモコンにしろ、全自動洗濯機にしろ、ボタンを押せば
すぐさまやりたいことができてしまう、便利な世の中になりました。
そういった便利な機能を使うことで、その分、他のことに時間を回せるといえば
良いことにも感じられますが、それは「手抜き」をしているとも言えるのです。
何の努力をせずとも豊かさ・楽しみを得られる。そんなことが当たり前の世の中に
なっているのではないでしょうか。もちろんそれを全否定するわけではありませんが。
そういった社会のなかで、水族館や動物園が求められているような気もします。
めんどうなことも多いですが、そこで思考停止に陥らずに、
みんなでいい方法を考えていきましょう。と水族館の話につながりました。
また、中村さんは動物園や水族館で非日常的な動物に触れる前に、
自分の身近にいるいきもの、昆虫や植物などをじっくり観察することも
大事だとおっしゃっていました。
そういった身近のなんてことないものを大切に見守ることのほうが
「いのちの大切さ」を実感できるような気もしますね。
ゴリラの研究者である山極寿一さんは、動物園についてのお話も。
動物園はできてからしばらく動物の収容施設でした。
動物にとって居心地のよい場所を作ろうとしたのは100年以上経ってから。
ゴリラも飼育しはじめてから子どもを産める環境になるのに100年かかりました。
水族館は動物を訓練させてショーとして魅せる、まだその域から出ていません。
環境や生物多様性などに配慮を見せる京都という都市に新たに水族館をつくるなら、
ものすごい覚悟の上でやらなければならないでしょう。
また、ショーというものは、見る側に誤解を与えやすいものです。
テレビなどで放送される動物を擬人化したようなものでも、
誤った情報を流していることがあります。
‥‥‥‥‥‥
梶田さんのムササビの話で思い出しました。以前カナダのイエローナイフという町へ
オーロラを観に行くツアーに参加しました。イエローナイフはオーロラが見える町として
世界的に有名なところです。
オーロラを観るツアーですから、いちばんの目的は「オーロラ」です。
でも、オーロラは自然現象です。太陽から飛んでくる粒子が、地球の周りを囲む大気圏で
酸素などとぶつかり、いろいろな色で発光します。当然のことながら、条件が揃わないと
観られないこともあります。
お金を払っていくからにはなんとしても観たいと思うものですが、ツアー3日間の設定で
観られずに帰らなければならないこともあるそうです。もちろんツアーの概要にも
免責として「観られないこともある」と書いてあります。
私の行ったときは運よく観られましたが、観られなかったらなんだか納得いきませんよね。
でも、それが自然なのです。思うようにはならないから、自然なのですね。
そう思うと、人間も自然の一部。人を思うように動かしたいと思ってもそうはいかない、
それも納得できる気が。
林
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