2010/08/17

肌で感じること、大切にすること

8月16日放送分では昔ながらの楽しみ方を考え、
日々実践しておられる加藤わこさんに来ていただきました。
→加藤わこさんについての詳しい情報はこちらを〈加藤わこ三度笠書簡

冒頭は「ほんとの自然との関わり方」について
ご自身の体験された驚きのこどもキャンプについてからお話ししてくださいました。
要旨は「本物の自然に出会う場がどんどん減っているね」
「本物に触れないと、愛着って沸かないよね」
「水族館で見る生態を見て、愛着がわくのか、教育になるのか?」
というあたりだったのですが、6分では伝え切れなかったこと、
オフレコで心に留まった言葉があるので、それを少々記します。

“ケガをしたっていいんじゃない?スリルも楽しみの1つじゃない?”

まず林と樋口が驚いたのが、大人たちによって囲われた川の中で遊ぶということ。
このキャンプの目的は「安全に何事もなく楽しむ」ということで、こどもは絶対に
ケガをしてはいけない(させてはいけない)らしいです。
囲いから出ようとした子がいたら、厳しく怒られるとか。
私たちはすでにここに疑問が。私たちが体験したキャンプって、元気のいい子の半分は
大なり小なりケガをしていたんじゃないでしょうか。絆創膏はみんな持参だったし、
言葉にはしませんがある意味では擦り傷程度の負傷は、前提だったのではないでしょうか。

そのうちにちょっと大きなケガをした子が出てきて、すると少し大きな絆創膏を
持ってきた女の子が活躍することがあって…という光景が思い出されます。
私も男の子とやんちゃに遊ぶ子どもだったので、かすり傷や打ち身は負って当たり前
という感覚だったように思います。そもそも危険な岩場を歩いたり、髪の毛に草が
いっぱいつくようなところをくぐったりするのが楽しかったのではないでしょうか?

林が「キャンプはそういうスリルが楽しいよね。あと、海外旅行なんて行けば
トラブルなしのほうが珍しいし……。」と言っていました。まさにそうですよね。
自然の寛大なスリルで楽しむことと、外国でのヒヤッとする危険を乗り越えること。
全く同じだとは思いませんが、通じるものはあるかもしれません。

社会に出れば出るほど、スリルどころか危険に遭遇することは増えるでしょう。
子どもが元気で乗り越えられるケガくらいは、大目に見てほしいと思います。
それをたくましいね!ってほめてあげてほしいです。むしろあまり大切に
育てすぎてしまうと、弱い大人になってしまいそうです。

“ほんとの自然と出会うこと。研ぎ澄ませて遊ぶこと”

そして話は及んで、ものを愛するということについて。
大人によって囲われた川は、こども達にとってどんな「川」に映るのでしょうか?
私ははっきり言って、それを「川」って言ってほしくありません。
わこさんも林も同意見でした。

川というのは、緩やかな流れがあったり、深みがあったり、急に冷たい水の流れが
あったり、静かな水面で石をひっくり返すと変な魚がいたり…その他色々。
ちょっとした緊張の中、発見だらけで五感を働かせて遊べるところが川だと思います。

また「キャンプで汚れた食器を洗うとき、合成洗剤はダメでしょう。川が汚れるし
第一、洗剤は自然のものではありません。砂で洗おうよ、十分きれいになるし、
自然にも優しいよ」という、わこさん。
まさにそうですよね。せっかく大自然の中にいるんだから、油汚れを洗剤とスポンジで
ゴシゴシ…という台所とは違う炊事をしたいです。そしてそうすることで洗剤の怖さや
川を大切にする気持ちが芽生えるのではないでしょうか。

山にいろんなものを持ち込んで、その中で町の生活をすることは
「自然を体験すること」ではありません。自然の雄大さを感じながら、
人間の小ささを知りながら、1日を生きてみる。大きな準備は必要ないと思います。
できるだけ自然に合わせて過ごすことが自然を体験することではないでしょうか。

“愛するとき。そのもののことを真剣に考えられるとき”

そして話はものとの関わり方から愛することについて。
なんでも本物に触れていなければ、そのもののことを大切に考えることは出来ない
という話になりました。
つまり本物の自然に触れていなければ本当に自然を知ったとはいえないし、
本当に知らないものをこころから愛することは出来ないということです。

先ほどの話で言えば、囲われた川の中で遊んだ子は、川の生き物や水のことを
真剣に考えられるか…ということです。
そのものとじかに触れ合っていないと、うわべだけではなく心から愛することは出来ないし、
そのためになにか行動するということもできないのではないかということです。
これは自然だけではなく、街についても言えることです。

わこさん曰く、「車で通りすぎる街を愛することが出来ますか?道を歩くからこそ、
街に愛着がわくのではないですか?結局じかに触れて愛するということは、
お金もかかりませんが、とても地道なことなんです」と。
たしかにそうですよね。キャンプでも、連れて行ってもらったきれいな場所よりも、
自分で見つけた石の下の昆虫の住処のほうがドキドキします。
街でも教えてもらった場所よりも、自分で発見した場所の方が特別な気がします。

つまりはゆっくりでも地道に触れ合っていくことが、
そのものを愛するための一番の特効薬ということです。
それが明日、自然を守るため、街を元気にするための第一歩となるということでしょうか。

……考えさせられます。
「歩くまち京都」。まさにそうですよね。
かたや「内陸型水族館」……。考えさせられます……。
とりあえず、五感を研ぎ澄ませて街をあるいてみますか。
なにか発見があるかもしれない!!

それではわこさん、ありがとうございました。

樋口

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